元気が取り柄のワンパク小僧
我が家のもう一人のADHD保持者、息子ちゃんは多動傾向が優勢です。ワンパクで毎日大きな声ではしゃぎ回っています(*´▽`*)
本当に元気で走り回るのでイオンくらいの大きな建物で買い物をしていると割とよく迷子になります(笑)こっちも段々慣れてきて焦らなくなってきます(´・ω・`)
普段家の中にいると障害があることなど忘れてしまうのですが、やはり何もない幼稚園などの子供たちの中にまざると協調性のない行動が目立ちます。
ふっと立ち上がってどこかに行こうとしたり、妙なタイミングで自己主張を始めたりします(-_-;)
急にそんなことするもんですから、周りはこんな顔になります→( ゚Д゚)
そういえば僕が子供の頃もクラスにひとりくらいそんな子いましたよね。(←僕もADHDなんで人のこと言えませんが)
そんな感じの息子ちゃん、ざっくり言うと、とっても優しくて思いやりのある愉快な子です(*´▽`*)
幼児期の様子→発達障害と診断が付く
まずADHDの可能性に気づいたのは1歳半の頃です。通常1歳くらいから言葉が出始めると聞いていたので少し遅いなーと思っていました。
2歳を過ぎても言葉が出なかったのでお医者さんから発達障害の可能性を告げられました。ただ、遅いだけの場合もあるので3歳くらいまで様子を見ようというお話しでした。
3歳が来た時点では少し言葉が出るようになっていましたが、通常と比べると遅いということで発達障害と診断されました。病院は結構大変でしたね。待ち時間が異様に長かったり(3時間待って診察が5分とか)、検査を落ち着いて受けることができなかったり。
当時私はサラリーマンでしたので、妻がほとんどのことをしてくれたのですが、下の子供を妊娠・出産・育児をしながらの病院通いやADHDの診断が下されたりしたことは大きなストレスになっていたと思います。
今でこそ笑えますが、当時は2人で泣きましたね。
療育への進学
4歳になると一気に言葉が出始めてとてもお喋りになりました(´・ω・`)
「こども園」ではクラスに数名の障害を持つ子供を受け入れてくれる制度がありましたので、子供園へ入りました。
園では楽しそうにしていました◎
友達も「ちょっと変わってるけど楽しいヤツだな~」くらいに見てくれているようです( ;∀;)
ありがたい…ありがたいよぉ…。
運動会なんかではナカナカみんなと同じ動きをするのが難しくポツーンと立ち尽くしたりしてましたね。
練習では出来てたりするらしいんですが、やはりADHD特有のいつもと違うと周りがとっても気になるというのが原因と思われます。
5歳になるとこども園から療育専門の学校へ移りました。
転校は寂しがるかなーとも思いましたが、あんがいケロっとしていて逆に「コイツ…感情が壊れてやがる…」と父親ながら思ってはいけないことを思ってしまいました。
まぁどこでも楽しく生きていけるというのは大切なことです。障害の有無に関わらずね。うん、お前は立派だよ。
療育専門の学校ではADHD以外の自閉症スペクトラムに分類される障害を持っている子供たちも集まっていますので、息子もかなり馴染んでいるようでした。
こども園では活発に見えたうちの息子もそこでは比較的落ち着いている方に分類されているように感じました。
今後の方向性
来年からは小学生になります。私たちの選択は普通の小学校の特別支援学級への進級です。
普通級では難しい。かと言って養護学校では行き過ぎといった状況でしたので支援学級を選びました。
正直、成長の過程で普通級に入れるくらいに改善することも少なからず期待しています。(期待されても本人的には迷惑でしょうけど…)
こんな人になって欲しい
病気と違い障害ですので、症状と共に生きる覚悟が必要です。
しかし障害があってもその特性を理解し、伸ばす部分の見極めたり最善の対策を講じることで幸せに暮らすことが出来るようになると思っています。
アップルのスティーブ・ジョブズや明石家さんまがADHDと言われていますが、上手くハマればとてつもない才能を発揮することもあります。
なにかしら創作的な仕事についてくれれば生きていきやすいのかなと思います。大成功を望んているワケではありませんが、自分にあった最良の仕事を見つけ、足るを知り、充実した日々を過ごせる人になって欲しいと思います。
やはり障害はあれども他の人より幸せになって欲しいと思うのが親心。息子が幸せになるための努力は惜しんではならないと日々思っています(*´▽`*)
…ええトーチャンやのー(´;ω;`)